タイル植物園|熱帯植物の観察術“Tile and Botanical Garden: Tourism of Tropical Plants”

タイル、ガラス  2017 撮影:表恒匡 名古屋市東山動植物園

東山動植物園には、鎌倉時代の猿投窯の窯跡が残されている。窯の付近から粘土を掘り起こし、生活のなかで使用する皿や茶碗などが作り出されてきた。窯焚きの際に雑木を燃料としたため、植物の灰がガラス化して器に付着した。他方で、1937年に開館した植物園には、シーボルト(1796-1866)から本草学を学んだ伊藤圭介(1803-1901)の植物標本などの資料が所蔵されている。植物園から採取した土に植物の灰釉を施したタイルを制作し、温室内の熱帯植物の〈表札〉とした。

近美をクリーンナップ! “Clean up The Museum of Modern Art, Shiga !”

2017 撮影:表恒匡 滋賀県立近代美術館

1984年に開館した滋賀県立近代美術館には、これまでの展覧会などの活動を収めた写真が数多く残されている。ワークショップでは、日用品で掃除用具を制作し、当時の写真を手がかりにタイルや看板などの建築の細部、さらに野外彫刻作品のアレクサンダー・コールダー《フラミンゴ》や村岡三郎《Oxygen Shiga》にくっ付いた「かくれたよごれ」を清掃する。

  • 中村裕太 日本陶片地図
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日本陶片地図 “Atlas of Japanese Ostracon”

陶片、絵葉書192×138×38mm / 267×192×38mm / 384×267×38mm2014撮影:表恒匡

 近世の日本列島では、それぞれの地方の陶工が風土に根付いた陶器を作り出していた。動物学者のE・S・モースは、そうした陶器に見せられ、日本各地の窯業地を訪れて、1901年に『日本陶器目録』を刊行した。かつてモースの眼を惹きつけた土着的な陶器は、近代以降の産業化により姿を消しつつある。ところが、兵庫の淡路島などのかつての窯業地を訪れてみると、その河川や海岸には、ある一生を全うした陶片を発見することができる。また、京都の愛宕山には素焼きの器を投げることで厄を払う〈かわらけ投げ〉という風習がある。山の上から投げられた器は、山裾の河川に山積し、時代ごとに意匠の異なった陶片を採集することができる。また、大正期以降の住居や商店のファサードは、左官工によって土壁からタイル張りへと意匠を変えてきた。そうしたタイルも年月の経過とともに剥離し、住居人はモルタルやペンキ、余ったタイル片などの様々な技術を駆使してその補修を試みている。そうした陶片から紡ぎ出されるのは、考古資料としての価値ではなく、ごくありふれた生活者のふるまいの痕跡である。それらの陶片は、名勝風景の絵葉書のようにその土地を想起させ、そこに文字が添えられることで一つの地図とした。

  • 中村裕太 納涼盆棚観光
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納涼盆棚観光 “Summer Shelf Tourism”

タイル、竹、麻6580×6925×1800mm2014撮影:表恒匡

 「町のはづれの東の谷の奥に、何処から来たか判らない子供連れの夫婦の人達が、掘立小屋を建てて住み付いた。二つの低い丘にはさまれた、浅い明るいこの谷の東側の斜面は、桑畑で、裾を流れてゐるきれいな小川の傍には、僅かではあつたが草の生えた捨て地があつた。この人達は、此処に小さい藁小屋を建てた。それも二つの屋根を合はせただけの壁のない、あの三角形の小屋であつた。小屋の半分が土間の台所で、あとの半分が藁の上に蓆を敷いただけの居間であつた。それからこの人達は、一家総がかりで、といっても親子四人連れで、それも乳吞子は母親に背負はれて、五つか六つ位の男の子も手伝つて、町から集めて来た古い桶を直す仕事を始めた。この人達には、天気さへ好ければ、外の草地は何処でも仕事場であつた。蓆さへ敷けば何処でも座敷であつた。面白い砂地の丘の桑畑と、丘の上に生えたまばらな赤松林を後にしたこの小屋は、この谷のたつた一つの人家ではあつたが、あたりの景色の中にとけこんでゐた。事実それはみすぼらしいといふにしては、あまりにも風情があり、貧しいといふにしては、あまりにも愉しさうであつた。子供達は春先には土筆をとりに、汗ばむ頃になると、桑の実を食べにこの谷へ行つた。秋風が吹くと、きのこやあさどりを取つたり、狐の提燈(蛍袋)をさがしにも行った。子供達には、人気のないからっぽであつたこの谷に、この小屋が出来たといふ事は、山道で地蔵尊にでも出会つたやうな思ひがした」[河井寛次郎「垣はいつ作られるか」『六十年前の今』1968年 ]道すがら〈タイルホコラ〉に出会う時もこのような心持ちであった。左官屋は、有り合わせのタイルを祠に覆い尽くし、転じて用を為したのだ。盆の時期に藁小屋に棚を組み、夕涼みをする一家の光景を思い描きつつ、拾ってきたタイル片を竹に括り付けた。

  • 中村裕太 タイルのタタキ
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タイルのタタキ “Dirt floor surfaced with tiles”

タイル、真砂土、石灰、苦汁10875×5460×50mm2014撮影:表恒匡
コレクション: “OZASA KYOTO” at KYOTO ART HOSTEL kumagusuku

 「本考案ハ「セメント」石膏等ノ任意ノ硬化資料ヨリ成ル素地盤ノ表面ニ陶板ヲ任意ノ形状ニ切割シテ周辺ヲ粗面トナシタル多数ノ陶片ヲ適宜ノ目地ヲ存シテ任意ノ「モザイク」状図形に配列シ釉薬ヲ施シタル表面ヲ露出シテ之ニ埋設固結セシメテ成ルモノニシテ任意ノ形状色調ノ小陶片ヲ集合シテ構成スルモノナル為メ普通ノ「タイル」ニ於テハ現出シ得サル複雑ナル色彩模様ヲ形成シテ極メテ優雅ノ美観ヲ呈スルト共ニ該陶片ハ陶板ヲ割取リテ周辺ヲ不規則ナル粗面トナシタルモノナルヲ以テ素地盤に対スル固結完全ニシテ素地ノ硬化、収縮等ニヨリテ濫リニ脱落ノ虞ナク壁面其他ノ各種装飾用「タイル」トシテ甚タ適当ナルモノナリ」[『実用新案出願公告三〇四九号 集成「タイル」』1933 年]泰山製陶所は、1933(昭和 8)年に施工技術の特許として、「集成タイル」の実用新案の出願を行った。本作では、真砂土、石灰、苦汁を練り合わせ、木槌でたたいていく三和土工法によって土間を作り、街中で採取してきたタイル片を組み合わせて敷き詰めた。

  • 中村裕太 豆腐と油揚げ[再制作]
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豆腐と油揚げ[再制作]“Tofu and Aburaage [reconstruction]”

タイル8260×2530×7mm / 8570×2840×7mm / 800×600×40mm2013撮影:表恒匡

 大正・昭和初期に建てられた、いわゆる文化住宅の浴室の壁面・床面には、新たな建築素材として白色タイルが張られていた。谷崎潤一郎が『陰翳礼讃』(1933)の中でこうしたタイルについて「ケバケバしい」と批判したことはよく知られている。本作では、谷崎の不快感を糸口とし、生活改善運動や衛生思想、あるいは都市生活者の「趣味」といった当時の文脈を参照することで、白色タイルがいかなるものとして今日まで受容されてきたのかを検証する。展示空間の導入部の床面には、白色タイルに低火度釉で白文字を描き、本書の白色タイルについての一節が「見開き」になるように床面に敷き詰めた。また美術館内のトイレへ向かう床面には、低火度釉を全面に施した白色タイルを継ぎ接ぎし、『建築写真類聚 改良和風便所』(1921)で一等当選に選ばれた僊石恵四郎案の間取り図を再構成した。

【資料】谷崎潤一郎 『鶉鷸隴雑纂』 日本評論社・1936 『建築写真類聚 改良和風便所』第3期5集・洪洋社・1921

  • 中村裕太 日本陶片地図
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日本陶片地図 “Atlas of Japanese Ostracon”

陶片、絵葉書、貼箱100×148×40mm2012撮影:表恒匡

 江戸時代以降、日本列島では、それぞれの地方の陶工が風土に根付いた陶器をつくりだしていた。動物学者のE・S・モース[Edward Sylvester Morse]は、そうした陶器に見せられ、日本各地の窯業地を訪れ、1901年に『日本陶器目録』[Catalogue of the Morse Collection of Japanese Pottery]を刊行した。かつてモースの眼を惹きつけた土着的な陶器は、すでにこの国では作り出されていない。ところが、かつての窯業地を訪れてみると、その河川や海岸には、ある一生を全うした陶片を発見することができる。そうした陶片から紡ぎ出されるのは、考古資料としての価値ではなく、ごくありふれた生活者のふるまいである。それらの陶片は、名勝風景の絵葉書のようにその土地を想起させ、そこに文字が添えられることで一つの「地図」と化す。

  • 中村裕太 郊外住居工芸 本野邸
  • 中村裕太 郊外住居工芸 本野邸
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郊外住居工芸 本野邸 “Suburb House Technique Motono house”

タイル、石膏180×120×160mm2010撮影:表恒匡

 「「郊外」という旗の下に生活してい、そこに住居を営んでいる人達の行動を対象とし、その行動のある面の活躍と見らるべき細工物、工作物、それらの有様を見、そしてその報告書を作る態度で私は今、この書き付ける仕事に着手しているのです。大工、左官、植木屋、人足その他いろいろの手をわずらわしたものでもいいし、素人の居住人が手を下したと見られるものでもいいから何か郊外にあるらしいものを私の好みの認定で集録して見た」[今和次郎「郊外住居工芸―素朴なるティクニックス―」(1926)]今和次郎は観察者として、関東大震災後の郊外の住宅地の柵、垣根、門といった細部をスケッチによって採集を試みた。今の住宅の細部へのまなざしは、郊外住居という場における建材と居住人との出会いに向けられ、その関係性のなかで形成される素朴な工作物を「郊外住居工芸」と名付けたのである。本作では、大正十三年(1924)に建てられた建築家本野精吾の自邸をモチーフとした。本野邸は日本で最初期のコンクリートブロック構造の建造物である。ブロックとモルタルで塗固められた本野邸は、九十年あまりたった今でも現存している。当時の設計図面をもとに郊外住宅地で採集したタイル片と石膏で模型を制作した。

  • 中村裕太 郊外住居工芸 タイル館
  • 中村裕太 郊外住居工芸 タイル館
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郊外住居工芸 タイル館“Suburb House Technique Tile pavilion”

タイル、資料他10100×13900×10mm2010撮影:表恒匡 写真提供:神戸アートビレッジセンター

 「木造平屋建建坪十一坪五合三勺、中央塔身アリ内部ハ玄関、広間、化粧室、廊下、浴室、脱衣室、便所ヲ設ケ外部壁、天井及壁面一部漆喰塗ヲ除キタル総テハ化粧煉瓦貼付トシ舘ノ内外、室ノ性質及壁面、床等ノ用途ニ依リ種々ナル異形及特種製品ノ華麗ナル『タイル』ヲ以テ貼付ケタリ」[東京府庁『平和記念東京博覧会事務報告』(1923)]東京タイル業組合は、大正十一年に開催された平和記念東京博覧会に、パビリオンとしてタイル館を出品した。また、同博覧会では全国タイル業者大会が開催され、敷瓦、陶板、化粧煉瓦、本業敷瓦といった名称を「タイル」に統一した。本作では、当時の文献と図版をもとにタイル館を構想し、原寸大の「間取図」を再構成した。また、タイル館についての資料や郊外住宅地で採集したタイル片などを配置した。

  • 中村裕太 めがねや主人のペンキ塗り
  • 中村裕太 めがねや主人のペンキ塗り

めがねや主人のペンキ塗り“The owner of an optician’s shop painted it”

タイル8500×7750×5mm2009撮影:表恒匡

 めがねやの主人が店先でペンキ塗りをしているところに出会した。そうかとおもえば、シャッターは下りていて張り紙が貼られている。「お知らせ 平成二十一年六月三十日を以まして閉店いたしました 永らくの間ご愛顧を賜わり誠に有難とうご座居ました」ガラス戸をのぞき込むと、めがねは以前のまま整然と並べられている。どうやらこの主人は閉店した店舗のペンキ塗りをしているようだ。ふと二階に目をやると、そこが住居になっていることに気がつく。この物件は店舗付きの住宅のようだ。おそらく一階の店舗は大きく改装されることなく、主人の手で徐々に住居へと改良されていくのだろう。手始めに主人は店先を玄関へと塗り直していたのだ。本作では、たてものの床面を斜めに分断するように二種類のタイルを敷き詰めた。半面には、《豆腐と油揚げ》の文字の配列を再構成し、もう半面には、《NOW NO SWIMS ON MON》のタイルに白い上絵具を塗り直した。

  • 中村裕太 豆腐と油揚げ
  • 中村裕太 豆腐と油揚げ

豆腐と油揚げ “Tofu and Aburaage”

タイル7480×3320×5mm2009撮影:表恒匡

 大正・昭和初期に建てられた、いわゆる文化住宅の浴室の壁面・床面には、新たな建築素材として白色タイルが張られていた。谷崎潤一郎が『陰翳礼讃』(1933)の中でこうしたタイルについて「ケバケバしい」と批判したことはよく知られている。本作では、谷崎の不快感を糸口とし、生活改善運動や衛生思想、あるいは都市生活者の「趣味」といった当時の文脈を参照することで、白色タイルがいかなるものとして今日まで受容されてきたのかを検証する。白色タイルの表面には上絵の具で白文字を描き、本書の白色タイルについての一節が「見開き」になるように床面に敷き詰めた。

  • 中村裕太 WYCGMRB
  • 中村裕太 WYCGMRB
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WYCGMRB

タイル、MDF、ガラス3000×3000×15 / 1800×450×400 / 150×150×15mm2008撮影:表恒匡

 郊外の住宅地に立ち並んだ住宅の壁や窓や扉は、最小限の建材と色相の「張りぼて」のようである。本作では、そうした住宅建材をバラックのように再構成した。

  • 中村裕太 Baja California

Baja California

タイル、鉛750×650×10mm (3点)2008撮影:表恒匡

 京都府立植物園の観覧温室の中ほどにある自動扉を開くと、そこには訪れたことのないメキシコのバハ・カリフォルニアの風景がひろがる。部屋の中ほどにあるジオラマ展示には、銭湯のタイル絵のような背景画が描かれている。手前に置かれたサボテンや多肉植物は、標本としてではなく、モザイクのかたまりとなって群生している。

  • 中村裕太 NOW NO SWIMS ON MON

NOW NO SWIMS ON MON

タイル7480×3320×5mm2007撮影:表恒匡

 「ある水泳の教師は、月曜日に開いていた教室を続けたくないので、看板にこう書いた。「NOW NO SWIMS ON MON」そして、彼は看板の真ん中に一本の釘を打ち付けておいた。ある月曜日、閉まったドアの前で怒った少年たちがその看板を回転させた」[ドリス・シャットシュナイダー『エッシャー・変容の芸術 シンメトリーの発見』(1991)]この文字列は上下を逆さにしても、シンメトリーな図像をみることができる。シンメトリーとはある変換に関して不変である性質のことを言う。したがって、その看板を何度、回転させても、その構造は不変である。シンメトリーな構造は、言葉の意味を読むことから、形態の連続性を追うことへと意識を誘導する。つまり、「NOW NO SWIMS ON MON」という文を「現在、月曜日には水泳はできません」と読むのではなく、シンメトリーな構造もった文字列として認識すると、この看板に向けられる視線は「表面」に踏みとどまる。本作では、水面から水底までの距離が、色の重なりとなって映り込むようにシンメトリーに分割されたタイルを床面に敷き詰めた。

  • 中村裕太 山を入れる
  • 中村裕太 山を入れる

山を入れる“Put the mountain in”

タイル、押し葉700×890×30mm2006撮影:表恒匡

 遠くの空にうっすらと、空と同化しそうな山が見える。その青さに近づくと、そこには鬱蒼とした緑の森が広がっている。たしかにその山は青かった。遠くの山が青く見えるのは、目と山の間にある分子大気によってレイリー散乱した光を見ているからである。そのことを承知した上でもなお、山が青く見えることは魅力的である。遠くにいると実体に触れることはできず、近づくにつれて、実体の色へと移行する。つまり、山の表面の色を見ているのではなく、対象へと透過していく色の重なりを見ているのである。言い換えるならば、対象の実体を見ているのではなく、ある距離によってしか見えない色に、目と山の間にある中空を見ているのだろう。遠心的に山に近づき、連続した行為の挟間にもたらされる中空の距離を、眼前に仮設してみているのだ。本作では青白磁の調合の割合によって生じる釉薬の変化を三角座標上に配置し、他方で山を登って採集した草花を押し葉にして並置した。